子どもに伝えたい響く格言・名言

歴史上の成功者や偉人が残した教訓から人生を生きる上で学ぶ事が多くあります。その中でも私の考えに沿うものを後世の大切な子どもたちに遺したいと思います。

仕事って何なのだろうか?

※本記事は通常の名言・格言をお届けする記事ではありません。

 「りっすんブログコンテスト」に挑戦してみました。

がむしゃらなワークスタイル

ITバブル真っ盛りの時期に新卒として飛び込んだ事もあり、今でこそ「働き方改革」の名の下で営業も開発(SE)も比較的ホワイトな働き方をしているが、当時の私は残業を顧みず、また今ほど制度やルールも定まっていない事も相まってがむしゃらに働いていた。

おかげで、同期・同僚からしてみても順風満帆な恵まれたといってもよいキャリアを積み重ねており、そんな中で妻と出会い、子どもが生まれ、家を建て、忙しい中にも一端の男になったような達成感や幸福感を持ちながら日々の生活を送っていた。

迷い キャリアや報酬を追い求める事が正しいのか

この頃の私は経済的に恵まれた不自由のない生活を家族に提供する事が幸せにつながるものだと思っていた。

また、自身もよりよいキャリアを積み、昇進・昇格をした結果、より多くの報酬を手にする事が仕事をする目的であると考えてもいたし、疑いもしていなかった。

しかし、次第に幸せにしてきたと思っていたはずの妻からも家を不在がちな私に対してネガティブな発言が目立つようになる。

すると次第に、自分が時間を捨ててまで打ち込んでいるものは何なのか、何のために仕事をしているのか、自分は何がしたいのかが次第に見えなくなっていた。

これまではがむしゃらに働いた結果、おそらくは結果としてついてくるであろう成果を求め、体が悲鳴を上げるのを気力でカバーし動き続けていたものが次第に崩れ始め、気が付いた時には心身ともに衰弱した状態になっていく。

迷い それなら、楽な仕事、早帰り=理想なのか

キャリアも捨てたくない。ただ家族の方にも向きたい。

このジレンマが続く中、いよいよ心身が危うい状態になり、ごまかしきれず、ネガティブな状態が続くことで仕事のパフォーマンスも激しく落ちてくるようになる。

とうとう通院する事になりドクターストップがかかる事で強制的にブレーキがかけられる事となった。

家でしばらくじっとしている中ででも答えは見えず、考えれば考えるほど負のスパイラルに陥り、また妻の目からも私がどういう状態で何が起きているのか理解できないようであった。

以前に妻から求められていたような家にいる時間が増え、仕事としても楽な仕事になっているにも関わらず辛さは晴れず、これもまた私が求めている環境ではない事が明らかであった。

決断 これまでのキャリアも固定観念も捨て去りリセット

私にとってターニングポイントとなったのは、ふと日常生活から離れたくなり一人でふらりと日光へでかけていった事であった。

ぼーっと日光にたどり着き、外国人観光客が行きかう中で自分の好きな歴史に触れあいながらも歴史の長さや自然の風景を見ているうちに、自分が抱えていると思い込んでいるものがちっぽけなものに感じ、どうでもいいという気持ちを抱いた。

そこではっきり感じた事は今まで信じていた自分の仕事への向き合い方や時間の使い方は、自分が誤って設定した理想の姿になるために無理やり作られた・演じられたものであったという事実であった。

目先の悩みを解消するための手段を探るのではなく、改めて仕事の原点について考える事で解決の道筋が見えた瞬間であった。

なりたい自分や獲得したいもののためにではなく、純粋に何のために仕事をしたいのか、何の役に立ちたいのかを改めて考え、これまで培ってきた(と自負していた)キャリアや立場を捨て、真摯に仕事に向き合うようにした結果、徐々に結果が後からついてくるようになった。 

決断 家族を取るのか仕事を取るのかの再選択を迫られる

新しい立場で仕事を続ける中、新たな決断をせまられるシーンが到来する。

私が進めていた仕事の延長で新たな事業立ち上げの機会にめぐまれ、新たに事業会社を立ち上げる事になったのである。

当時、私はまだ30代であるにも関わらず、設立メンバとして役員を任されるという機会が到来したわけだが、その話は家族から離れ単身赴任を伴うものであった。

普通に考えればまたとないチャンスであるものの、過去の家族との時間をないがしろにしてしまった負い目が蘇り、また妻の性格を考えても離れ離れの状態に耐えられる性格の持ち主ではない。

だが、当時の私には「社会に変革を起こす」「よりよい社会を自分の子どもたちに遺す」という新たに描いたビジョンがあり、それが仕事をしている事の意味であったため、この信念・ビジョンを曲げるという選択肢はなかった。 

私の仕事に対する真摯な思いを子どもにも見てほしい、子どもに誇れる仕事を遺したいという気持ちを妻・子どもたちにも伝え、単身赴任を決めたのである。

仕事とは何だろうか

「仕事」というものに向き合う際、やりがい、働き甲斐という要素が色濃く影響する。

やりがいや働き甲斐、つまりは何のために仕事をしているのかというひた向きさを自分自身の中でもぶれる事なく持つことで、自分自身、素直な気持ちで仕事に向き合う事ができる。

結果、その思いは家族とも共通言語で共有でき、物理的な家族と過ごす時間や過ごし方がどういう状態であろうと、家族を支える幸せの源となる。

また、迷いが生じた時の選択や決断がは間違っていなかったと言い切れるし、今の仕事への取組みは未来の家族の幸せにつながっていると断言できる。

このように家族全員が誇れるものが理想の仕事なのではないかと思う。

おそらく妻はこれまで、私が何のために仕事をしているのかというものが全く見えず、見誤った目的に向かってただただ大切な時間を浪費し続けているという事にストレスを感じ、心の悲鳴をあげていたのだと思う。

今は共通の価値観の下で生活をしているため、細かなストレスやフラストレーションはあるものの、ちょっとやそっとではぶれない信頼関係のようなものが下支えしてくれている。

様々な迷いや悩み、そして決断があったからこそ成長でき、今の自分のワークスタイルを作り上げてくれたのだと、しみじみと家族の元へ帰る車中で考えを巡らせてみた。